インドネシア最初の独立宣言はゴロンタロ

実は、インドネシアの独立宣言が最初に行われたのは、スラウェシ島北部のゴロンタロでした。今は、ゴロンタロ州ゴロンタロ市となっているところです。

誰が宣言したかというと、ゴロンタロでの反植民地運動の指導者だったナニ・ワルタボネ(Nani Wartabone)という人でした。1907年にゴロンタロのスワワという村に生まれ、1986年に亡くなりました。彼はのちに、インドネシア国民英雄の称号をもらいます。

(出所)https://upload.wikimedia.org/wikipedia/id/thumb/b/b9/Nani_Wartabone.jpg/220px-Nani_Wartabone.jpg

▼独立宣言に至る経緯

1942年1月22日、日本軍の進軍で形勢不利となったオランダ軍は、ゴロンタロの街を焼いて、ポソへ逃れようと、ゴロンタロの港の船とコプラの倉庫に火を放ちました。ナニ・ワルタボネは、「オランダとの戦いの時は来た」として、翌1月23日、味方の軍勢を率いてゴロンタロ港へ向かい、関与したオランダ高官全員を逮捕した後、次のように演説したのでした。

1942年1月23日、ここにいる我々インドネシア民族はすでに独立し、自由で、いかなる民族による支配からも解放された。旗は紅白旗、国歌はインドネシア・ラヤ、オランダ政府はすでに国民政府に取って代わられた。

ナニ・ワルタボネは、議会機能を持つゴロンタロ政府指導部を組織し、住民を動員して、ゴロンタロ域内でのインドネシア独立を維持させようとしました。

▼日本軍にも連合軍にも不服従を貫く

ほどなく、日本軍がゴロンタロへ進軍し、ナニ・ワルタボネはインドネシア独立を支持してくれるものと期待したのですが、現実は逆でした。日本軍は紅白旗の掲揚を禁止し、住民に日本への従順を求めました。

ナニ・ワルタボネは日本軍に捕らえられ、1944年6月まで、北スラウェシのマナドの刑務所に拘留されました。そして、モロタイ島の刑務所、ジャカルタのチピナン刑務所へと移送されました。

彼は日本軍に対しても、その後やってきた連合軍(オーストラリア軍)に対しても、服従を拒否し続けたためです。彼が刑務所から釈放されたのは、1949年12月23日、すなわち、国連がインドネシアを国家として認知したときでした。

▼その後のナニ・ワルタボネ

刑務所から出所した後も、ナニ・ワルタボネの反植民地運動に変化はありませんでした。その後も、ゴロンタロを支配しようとする外部勢力との闘争を続け、インドネシア共和国への忠誠を誓い続けました。

戦闘の時代が終わると、ナニ・ワルタボネはゴロンタロを代表する政治家としてゴロンタロの要職を務めましたが、中央政界とは縁遠い生活を続けました。彼がインドネシア国民英雄の称号を受けたのは、死後17年経った2003年のメガワティ政権のときでした。

一貫して外部勢力への服従を拒み、ゴロンタロを守り続けた一方、質素な生活を続けたナニ・ワルタボネは、今でも地元の人々から愛される人物です。

最初にインドネシアの独立宣言を行った人物は、決してそれを自分の名誉や功績として喧伝することなく、静かに一生を終えたのでした。

インドネシアの独立はいつか?

▼8月17日はインドネシア独立記念日?

インドネシアの独立記念日といえば、インドネシアの人のほとんどは、8月17日と言います。日本が敗戦を迎えた終戦記念日の2日後です。

独立記念日というと、あたかも、1945年8月17日に、当時のオランダ領東インドの全土で、独立を祝ったかのようなイメージがあると思います。でも、1945年8月17日にインドネシアの独立を知っていたかというと、実は、多くの人はその時点では知らなかったのです。

▼独立記念日ではなく、独立宣言記念日

正確にいうと、8月17日は独立記念日ではなく、独立宣言記念日なのです。すなわち、1945年8月17日、のちに大統領となるスカルノと副大統領になるハッタの名の下に、インドネシアの独立が宣言されたのでした。

(出所)https://id.wikipedia.org/wiki/Berkas:Indonesia_declaration_of_independence_17_August_1945.jpg

独立宣言の文言は、次のような、とてもシンプルなものでした。

宣言
我らインドネシア民族はここにインドネシアの独立を宣言する。
権力委譲その他に関する事柄は、完全且つ出来るだけ迅速に行われる。
ジャカルタ、05年8月17日
インドネシア民族の名において
スカルノ / ハッタ

え、これだけ? という感じですよね。

▼日本軍の影響があった

よく見ると、1945年ではなく、05年となっています。これは、皇紀2605年を表していると見られます。1941年から占領してきた日本軍の影響によるものでしょう。

実際、この独立宣言を前に、1945年8月16日夜から未明にかけて、前田海軍少将の家でスカルノやハッタらを交え、独立宣言の打ち合わせを行っていたとされます。独立宣言を行なった場に、前田海軍少将ら日本軍関係者も同席していたという話もあります。

▼独立宣言の後、独立戦争

このあと、独立宣言がなされたということを、オランダ領東インドの全土へ広く伝えていくという段階へ移るのでした。そして、舞い戻ってきたオランダ軍との間で、1945〜1949年に独立戦争を戦うことになるのです。

真の意味でインドネシアが独立したのは、独立戦争終了後、国連が国家としての存在を認めた1949年12月27日、という解釈もあります。

ただし、インドネシアが1945年8月17日を独立の起点としたいという気持ちもよくわかります。

▼1945年8月17日は最初の独立宣言ではなかった?

しかし、実は、1945年8月17日が最初の独立宣言ではありませんでした。それよりもずっと早く、独立宣言がなされていたのです。それは、どこで、どのようなものだったのでしょうか。

この話は次回のブログで。