インドネシア語の発音や抑揚は同じではないけれど

同じインドネシア語でも、きれいなインドネシア語と聞き取りにくいインドネシア語があります。

▼きれいなインドネシア語はアナウンサー

きれいなインドネシア語を話すと言えば、それはテレビやラジオでニュースを読むアナウンサーでしょうか。日本でも、そうですよね。

ずいぶん昔ですが、テレビのニュースからとてもきれいなインドネシア語が聞こえてきました。言葉の一つ一つがはっきり聞こえて、とても聞きやすい。どんなアナウンサーかな?と思ってテレビを見たら、パプアの方でした。

前のブログでも書きましたが、インドネシア語は新しくつくられた言語で、大半のインドネシア人は自分の母語(地方語)とのバイリンガル生活が普通です。

すると、どうなるでしょうか。

▼母語(地方語)の影響を受けるインドネシア語

ジャワ族の人の話すインドネシア語は、ジャワ語の影響が出てきます。単語の最初にNの音が入りがちになったり、ジャワ語で話すのと同じ抑揚でインドネシア語を話したり、インドネシア語で話している途中でジャワ語が混じったり・・・。それに慣れないと、なかなか聞き取れないです。

マカッサルに住んでいたときも、やはり、マカッサル族の話すインドネシア語には、マカッサル語の抑揚が入ってきます。その典型は、間延びしたような抑揚で、「あちら」というインドネシア語は通常「サナ(sana)」というのですが、マカッサルでは「サーナ」となります。ジャワ族の人がそれを聞いたら、田舎者っぽく聞こえるかもしれません。

▼Eは「ウ」か「エ」か

インドネシア語のEの音は「エ」ではなく「ウ」に近い音になる、と習うかもしれません。たとえば、「返す」のインドネシア語はkembaliですが、普通は「クンバリ」と発音すると習います。ただし「ク」は軽い発音です。でも、東インドネシアへ行くと、普通に「ケンバリ」という発音を聞くことが多いのです。

このEの発音をめぐっては、人名や地名をどう発音するか、それを日本語のカタカナ表記にするときにどうするか、いろいろ悩ましいものです。

東南スラウェシ州の州都Kendariは、クンダリなのかケンダリなのか、誰が発音しているかによって異なるのです。首都ジャカルタで聞くと「クンダリ」、東南スラウェシ州で聞くと「ケンダリ」だったりします。

▼それでも通じ合える能力がすごい

このように、種族や地域によってインドネシア語の発音や抑揚が色々あるのですが、彼らの会話を見ていると、ちゃんと通じているようなのです。

それを可能にしているのが、ボディーランゲージを含む表現能力のすごさです。

話しているときの表情の豊かさ、手ぶり身振り、ちょっとした仕草、そういったものを伝え、敏感に感じる能力がとても優れていると思いました。

ですから、私たちが彼らとコミュニケーションをとるとき、私たちのちょっとした仕草や表情から、彼らは色々なものを読み取っているのではないかと感じます。

昔、マカッサルに住んでいたときの当時3歳の私の娘とお手伝いさんとの会話。

娘は幼児の日本語で話し、それに対してお手伝いさんはインドネシア語で答える、それがずっと続くのですが、なぜか、ちゃんとお互いのコミュニケーションができているのです。

もちろん、お手伝いさんは日本語を全く知りませんし、娘はインドネシア語をただの音としてしか認識していませんでした。

純粋に、すごいなあと思いました。

インドネシアではインドネシア語

インドネシアでは何語が使われているのですか? そんな質問を聞くことがあります。

以前、このブログでも触れたように、インドネシア人は、約300のエスニック・グループ(民族集団)、1340の種族から構成されています。こんなに多種多様な国民がいったい何語でコミュニケーションしているのか、意思疎通が本当にできるのか、と思われるのも無理はありません。

▼インドネシア語は新しい言語

インドネシアで使われているのは、インドネシア語です。

このインドネシア語、バハサ・インドネシア(bahasa Indonesia)というのですが、実は新しい言葉なのです。インドネシア語という言葉自体、この世に現れてからまだ100年にも満たない言語なのです。

世界共通言語を目指したエスペラント語を思い起こさせます。

インドネシア語という用語が初めて現れたのは、インドネシアが独立する前の1928年10月、第2回インドネシア青年会議においてでした。

その頃、オランダが植民地としていたオランダ領東インドの全体が一つにまとまって独立する、そのかたまりとして「インドネシア」という国が構想されたのでした。

▼インドネシア語は最多種族の言語ではない

そして、そこで国語として想定されたインドネシア語は、マレー世界での交易で商人たちが使っていた易しいマレー語をその母体としました。

ちなみに、世界の多民族国家では、最多人口の種族の言葉を国語や共通語とするケースが多いようです。たとえば、インドではヒンディー語、フィリピンではタガログ語、といった例があります。

インドネシアでは、国内で最も人口の多いジャワ族(全人口の約4割)のジャワ語を国語にしませんでした。この英断がインドネシアの国是である「多様性の中の統一」を可能にさせているのです。

ジャワ語には独自のジャワ文字がありますが、近年は、インドネシア語と同様、アルファベット表記が多いです。 (出所)http://www.gimonca.com/indonesia/pics/hjawa1.gif

とはいえ、約300のエスニック・グループ(民族集団)、1340の種族は、それぞれの母語である地方語や種族語を使い続けています。それらの言語のほうが、インドネシア語よりもはるかに長い歴史を持った言葉なのです。

▼インドネシア人は普通にバイリンガル

そう、インドネシアの多くの人々は、ふつうにバイリンガルなのです。自分の母語以外に、インドネシア語を使います。日常生活では地方語や種族語を使い、自分たち以外の種族の方々とコミュニケーションをとる際には、インドネシア語を使います。

なかには、必要に迫られて、行商人などでは、インドネシア語以外に3つも4つも地方語や種族語を使える人々も少なくありません。

インドネシアの人々は、もしかすると語学の天才なのかもしれません。

▼方言ではない、言語が違う

日本でも、標準語の東京方言と津軽弁や琉球弁などの地方方言とはかなり違うし、日常生活では地方方言を、よその方とコミュニケーションするときには標準語を使う、ということがあると思います。

ただし、標準語と地方方言は、たとえ通じなかったとしても、同じ日本語の範囲内です。他方、インドネシア語は、新しく作られた言葉であり、地方語や種族語がインドネシア語の方言というわけではありません。そして、地方語や種族語は、そもそもの期限が異なる全く違う言葉なのです。

▼全国どこでも通じるインドネシア語

インドネシア語がなかったら、インドネシアの人々は互いにコミュニケーションすることは本当に難しかったと思います。

学校教育のおかげで、インドネシア語は、インドネシア国内のほぼ全域で通じます。

ですから、私たち日本人がインドネシア語を学べば、インドネシアのどこでも、日本の人口の2倍いる人々とコミュニケーションをとることができるのです。

▼インドネシア語しか使えない世代の出現

インドネシア語が浸透するにつれて、都市部などでは、インドネシア語しか話せない世代が現れつつあります。

それは、親が互いに異なる種族である場合、彼らはインドネシア語でコミュニケーションをとります。その場所が都市で、親二人のいずれの種族のコミュニティにも属さない場所であるならば、家庭内でのコミュニケーションはインドネシア語のみで行われます。

このようにして育った子供は、インドネシア語しか使わないインドネシア人となり、種族とは関係なく、どんなインドネシア人ともインドネシア語のみでコミュニケーションをとるようになります。

こうして、都市部を中心にしながら、インドネシア語のみの世界が徐々に広がっていくのでしょう。

▼インドネシア語に初めて触れる方へおすすめの入門書

インドネシア語に初めて触れたい方向けには、以下の本をお勧めします。ぜひ、ご一読のうえ、まだ話せなくても、指差ししながら、インドネシアの人々とのコミュニケーションを楽しんでください。

この本で親しんだ後、もっと本格的にインドネシア語を学んでみたいという方には、いろんな入門書が出ていますので、本屋などで見てみてください。

インドネシア語は話すことや聞くことが重視されますので、インドネシア人の知人や友人相手にどんどん試してみることもおすすめしますよ。

最近、小学館から、入門者用の辞書が発売されました。この辞書も、初学者がインドネシア語に親しむことを狙った作り方をしています。ご覧になってみてください。

 

ゴム時間が縮み始めた?

インドネシアで時間といえば、ゴム時間というのがあるのをご存知ですか?

ゴム時間、インドネシア語ではジャム・カレット(jam karet)というのですが、それは、ゴムのように伸び縮みする時間、という意味です。

どういう時に、ゴム時間というのでしょうか。

▼伸びたり縮んだりのゴム時間

たとえば、誰かと10時に会う約束をしたとします。でも、その人は、約束の時間よりも1時間以上遅れて、やってきました。こういうのを「ゴム時間」というのです。

昔、まだ携帯電話やインターネットがなかった頃、筆者は、約束した時間に相手と会えるのは、むしろ珍しいことでした。

日本式に約束の時間に約束の場所へきっちり出向いても、たいていの場合、相手は現れません。30分経ち、1時間経ち、2時間経ち・・・。ようやく、相手が現れます。ここまでくると、もはや怒る気力も萎えてしまいます。

でも、遅れてきた相手は、悪びれた様子もなく、遅くなった理由を色々と述べたてます。「時間を勘違いしていた」ということもよくあります。

▼3時間以上待たされた政府主催セミナー

携帯電話もインターネットもない時代には、連絡の取りようもありません。日本式には、だからこそ、約束の時間に間に合うように行くのが相手に対する誠意だと思うのですが・・・。

また、政府主催のセミナーなどに出席すると、開会挨拶を行う大臣や地方首長が会場に現れるまで、出席者は待ち続けます。筆者の経験では、州知事の来訪が遅れに遅れて、朝8時からのセミナーがようやく昼前の11時ごろから始まったことがあります。

▼縮み始めたゴム時間

そんなゴム時間が、段々に縮んできたような気がします。

昔は、1時間ぐらい遅れるのが当たり前だったのが、今ではそれが30分ぐらいになっています。今では、携帯電話やインターネットで、約束の時間に遅れそうならば連絡が入ります。もっとも、交通渋滞などで時間の計算ができず、遅れることはよくあるので、時間厳守できないことに対しては、けっこう寛容です。

地下鉄工事中のジャカルタ・スディルマン通り(筆者撮影、2014年11月6日)

面白いのは、ジャカルタでゴム時間が1時間から30分へ縮むのに対して、地方都市では2時間が1時間へ縮む、といったことが同時進行的に起こっているように感じます。

ゴム時間の長さ自体には場所により違いはありますが、全体として徐々にゴム時間が縮んできているように感じます。

今、大統領が出席するイベントでは、遅くても開始30分前に着席し、大統領の来訪を待つことを厳しく求められます。

▼ゴム時間は無くなってしまうのか

携帯電話やインターネットで、渋滞情報や位置情報が共有できるようになり、少しずつ時間が計算できるようになってくると、ゴム時間のゴムも縮んでくるようです。

それは、もしかすると、いつ来るか分からない、来てくれたらラッキー、と大らかに相手を待てた時間が、時間泥棒によって奪われているのかもしれません。

インドネシアから「ゴム時間」という言葉がなくなる時代が、いつか、来てしまうのでしょうか。

インドネシア時間は3つある

日本とインドネシアの時差は何時間?、という質問がよくあるかもしれません。でもこれに答えるのは難しいです。なぜなら、インドネシア時間は3つあるからです。

▼東西に長ーい国土

どうしてインドネシア時間が3つあるかというと、国土が東西に長いからです。その直線距離は5,100キロメートルです。

5,100キロメートル、といってもすぐにピンとこないですよね。

▼米国の東西、欧州の東西より長い

アメリカ合衆国の西海岸のサンフランシスコから東海岸のニューヨークまでが4,671キロメートル。

ヨーロッパ大陸では、ポルトガルの首都リスボンからロシアの首都モスクワまでが4,561キロメートル。

これらよりも長いのです!

もしも、インドネシアの最西端(アチェ州サバン)から最東端(パプア州メラウケ)までを旅すると、陸路5,307キロメートル、水路3,207キロメートルの合計8,514キロメートルの道のりになります。

ちなみに、日本の国土は、東西、南北とも約3,000キロです。

▼日本との時差は2時間、1時間、なし

インドネシア時間は、西インドネシア時間(WIB)、中インドネシア時間(WITA)、東インドネシア時間(WIT)の3つです。

(出所)http://jagoanbanten.blogspot.com/2017/06/mengapa-indonesia-memiliki-tiga-daerah.html

インドネシアでの時刻表示をよく見ると、時刻の後ろに WIB、WITA、WIT という表示があるはずです。これが上記の3つの時間を表しています。

大まかにいうと、スマトラ、ジャワ、カリマンタン西部(西カリマンタン州、中カリマンタン州)は西インドネシア時間(WIB)。首都ジャカルタもWIBです。日本との時差は2時間です(日本より2時間遅い)。

中インドネシア時間(WITA)は、カリマンタン東部(南カリマンタン州、東カリマンタン州、北カリマンタン州)、スラウェシ、バリ、ヌサトゥンガラ(西ヌサトゥンガラ州、東ヌサトゥンガラ州)で、日本との時差は1時間です。ジャカルタより1時間早く、日本より1時間遅くなります。

そして、東インドネシア時間(WIT)は、マルク州、北マルク州、パプアが含まれ、日本との時差はなく、ジャカルタより2時間早くなります。

▼インドネシアの真ん中はジャカルタではない

そうなんです。首都ジャカルタは、インドネシアの国土全体で見ると、西側に位置しています。

では、インドネシアの真ん中はどこら辺でしょうか。

南北も含めて見てみると、おおよそ、スラウェシ島西部、西スラウェシ州あたりでしょうか。主要都市では、マカッサル市あたりが真ん中に近いようです。

私たちが日ごろ見ているインドネシアは、まだインドネシアの西半分、というのが実状です。インドネシアの国土の半分以上は、まだあまり知られていない、といってもいいかもしれません。

▼世界で一番赤道が長く存在する国

地球儀で赤道をぐるーっと見てみてください。

赤道って、意外に海の上にありますよね。インドネシアは、世界の中で、この赤道が最も長く存在している国でもあります。

赤道=熱帯、というイメージでしょうか。機会があれば、インドネシアのいくつかの場所で、赤道越えを体験されるのもいいかもしれません。

最も容易なのは、赤道直下にある西カリマンタン州の州都ポンティアナクを訪れることでしょう。実に簡単に赤道越えができますよ。

世界最多のムスリム人口の国、でもイスラムは国教ではない

インドネシアは、国別では、世界で最も多くのイスラム教徒(ムスリム)人口を持つ国と言われています。では、全人口の何%がイスラム教徒なのでしょうか。

▼全人口の87.18%がイスラム教徒

中央統計庁(BPS)の2010年人口センサスによると、全人口2億3764万1326人のうち、イスラム教徒は2億717万6162人で、全人口の87.18%を占めています。

やはり、圧倒的にイスラム教徒人口が多いですよね。インドネシア=イスラムというイメージが強いのもうなづけます。なかでも、人口の多いジャワ島で、9割以上がイスラム教徒で占められていることが、イスラム教徒が多い大きな理由となっています。

ジャカルタのイスティクラル大モスク

▼イスラム教以外の宗教は?

インドネシアで宗教として認められているのは、イスラム教以外に、プロテスタント教、カトリック教、ヒンドゥー教、仏教、儒教であり、計6宗教です(日本でいうキリスト教は、インドネシアではプロテスタント教とカトリック教に分かれます)。

イスラム教徒に次いで人口が多いのはプロテスタント教徒で、全人口の6.96%に当たる1652万8513人です。以下、カトリック教徒(2.91%、690万7873人)、ヒンドゥー教徒(1.69%、401万2116人)、仏教徒(0.72%、170万3254人)、儒教徒(0.05%、11万7091人)の順となっています。

▼イスラム教徒が少数派の地域がある!

全体でみると、イスラム教徒の比率がとても高いインドネシアですが、地域によっては、イスラム教徒がむしろ少数派となっている地域もあります。

たとえば、東ティモールと国境を接する東ヌサトゥンガラ州では、イスラム教徒の比率がわずか9.05%しかありません。

東ヌサトゥンガラ州で最も多いのはカトリック教徒で、州人口全体の54.14%を占めています。カトリック教徒の次に多いのがプロテスタント教徒で、州人口全体の34.74%です。

東ヌサトゥンガラ州はキリスト教徒が圧倒的多数派の世界なのです。

東ヌサトゥンガラ州以外でイスラム教徒人口が少ない州を挙げると、バリ州(イスラム教徒人口は州人口全体の13.37%)、パプア州(同15.89%)、北スラウェシ州(同30.9%)、西パプア州(同38.4%)などがあります。

バリ州で最も人口比率の高いのはヒンドゥー教徒で、州人口全体の83.46%となっています。それ以外の3州では、プロテスタント教徒が州人口全体の過半数以上を占めています。

ジャカルタのカトリック大聖堂は、イスティクラル大モスクの道を隔てた反対側に立地する

▼宗教(agama)と信仰(kepercayaan)

インドネシアには、国是としての建国五原則(パンチャシラ)というものがあり、その第一原則で、「ただ一つの神を信じること」が定められています。それに基づいて、先に挙げた6つの宗教のみが宗教として定められています。

他方、カリマンタン島やスラウェシ島などでは、今も精霊信仰や伝統信仰が根強いところがあります。その場合、宗教はどうなるのでしょうか。

こうした人々のなかには、便宜的に「ヒンドゥー教」としているようです。

このように、6つの宗教以外の精霊信仰などは「信仰」として宗教と区別しています。ですから、ヒンドゥー教徒で精霊信仰、といったことが成り立つのです。

(補足)宗教と信仰とは区別されていますが、近年、住民登録証(KTP)の宗教欄へ、政府が定めた6宗教以外に「信仰信者」(penghayat kepercayaan)と記入することが認められました。これは、2017年11月7日、憲法裁判所が「宗教欄を6宗教に限定するのは違憲である」との訴えを認める判決を行なったためです。

▼イスラム教徒も濃淡いろいろ

イスラム教徒といっても、その信仰の度合いは濃淡様々です。教義に忠実であろうとする原理主義的なイスラム教徒もいれば、住民登録証(KTP)の宗教欄を埋めなければならないので、とりあえず「イスラム教徒」と書いておく「KTPイスラム」という人々も存在します。

古い年代のイスラム教徒は、高僧や説教師を通じて、イスラムの教えを伝え聞き覚えてきた面が強いようです。一方、若いイスラム教徒はコーランをアラビア語で読み、暗唱する者もいます。そうすると、古い世代のイスラム理解を「コーランにそぐわない」として若い世代が批判することもあります。

イスラム教徒が多いと言っても、すべてのイスラム教徒の信仰度が同じように強いわけではありません。むしろ、インドネシアでは、穏健で調和を重視する柔らかで優しいイスラム教のほうが主流となってきました。

ただし近年、イスラム教の厳しい面を強調し、西洋文明を明白に敵視するグループが発言力を強める傾向がうかがえます。もっとも、そうした動きに対して、穏健派からは「アラブ化」との批判が打ち出されています。

▼イスラム教は国教ではない!

イスラム教徒が全人口の87.18%を占めるインドネシアですが、イスラム教は国教ではありません。そもそも、インドネシアには国教というものは存在しないのです。

インドネシアを理解するために、イスラム教を知ることは重要です。しかし、イスラム教のみでインドネシアを語ることはできません。このことを、ここで改めて強調しておきたいと思います。